第1回お正月の支度

11月の三連休は、第1回お正月の支度をしました。

まずは、羅漢槙の垣根を剪定しました。

人生で最高の仕上がりです。わかる人はこの凄さをご理解いただけるはずです。

道路側
庭側

多肉植物などをテントに移動しました。今年2月の突風でテントが外れてしまい、みんな瀕死の状態になってしまいましたが、何とか持ち直しています。

金の生る木・カニサボテン・シンビジウム・君子蘭

今年最後のつもりで、「殺してはならないらんちゅう」の掃除をしました。気温が高いのでまだわかりません。

瘤が大きすぎて目が不自由な子は、9月に原因不明の突然死をしてしまいました。

ポニョ似の子は、転覆病になってしまい、隣の水槽に入院させています。

右の入院水槽でひっくりかえっているポニョ似

先週、玉葱を植えました。お正月の準備ではないけれど、根付いたか確認してきました。

極早生:隣の人に貰った100本 ←根付いた。植付後2週間

極早生:アサヒ極早生 100本 ←枯れてはいない。植付後1週間

中晩生:ネオアース 150本 ←根付いた。植付後1週間

中晩生:赤タマネギ 50本 ←根付いた。植付後1週間

晩生:もみじ3号 100本 ←根付いた。植付後1週間

植付時 左から極早生 中晩生 晩生
1週間後 11/4の様子

夏のように暑いので、今年の夏にやらなかったバーベキューをしました。

バーベキューをする人が多いようで、16時の肉売り場はほとんど空っぽで、肉をかき集めてきたそうです。我が家のバーベキューは、ベランダで「野菜と魚介類無しの肉だけ」コンロで焼くインチキバーベキューです。「お座敷バーベキュー」と呼んでおります。

肉だけ肉祭 お座敷バーベキュー

この3連休に出掛けたのは、子供のソフトボール新人戦で酒匂川河口の河川敷のみ(小田原)。

「東名が混んでいるな」とか「事故かな」とか「ロマンスカー満席じゃね」とか、家で地味な連休をしております。

新聞輪転印刷は兎に角何だか凄い

國學院大學体育連合会様の新聞は、荻野25歳位から請けています。

荻野は國學院文学部日本文学科でアナウンス研究会に所属しておりました。新入生の学生証写真撮影を当時の本館5階で池田写真館さんが請けており、部会でアルバイトをしておりました。

荻野は筆で案内看板を度々書かされました。現在の校舎に建て替わるまでその看板は使用されておりました。國學院へ行く度に、自分の書いた看板があることがとても嬉しかったものです。

明電印刷に就職後、営業途中に池田写真館の通称「池田のおばちゃん」のところに遊びにいきましたら、日本文化研究所(戦前の國學院の母体である皇典講究所の戦後の後継機関)と体育連合会の仕事をしないかと紹介をしてくれたのがきっかけです。

この「池田のおばちゃん」、なんと折口信夫先生の授業を受けている凄いおばちゃんです。

折口信夫先生の授業では、教卓に「御座布団付きお茶」が用意されていたそうです。

2019年、「本当のスポーツ新聞を作りたい」と学生が希望されますので、秋の文化祭「若木祭」に発行する秋号は、新聞輪転印刷に切り替えました。春号の新入生歓迎号は、イラレで新聞のように組版していますが、枚葉機で印刷するので、所謂「新聞」に見えないのです。

学生が原稿をつくり、我々が編集をして、我々が見出しを考えて追加したりしています。

新聞社による新聞組版ソフトは、イラストレータとかなり違います。

新聞印刷社の仕事のこなし方は普通の印刷会社とは全く違います。

兎に角何だか素早いのです。後世に残したい技術です。

新聞輪転印刷で出来ることを模索してみます。

11/2納品 若木スポーツ74号

2023年11月1日 ノキオ13期はじまる

本日、お陰様でノキオ企画・制作は13期を迎えます。

お客様・協力会社様・従業員の皆様に感謝しております。ありがとうございます。

干支が一回りしましたから、今期から新生ノキオのはじまりです。

創業当時と現在では世界の状況は変化しており、ノキオの状況も変化しております。

明電印刷工業に勤務していた当時、応接間に「会社は変わる」という猪熊時久氏(当時の明電舎社長)の冊子が製品見本と共に金科玉条のように飾ってありました。読んでいないので「どんなことが書いてあったのだろう?」と、経営者である今、時々ふと思うのです。

世界も日本も目まぐるしく変化すると思います。ノキオも変わらなければなりません。

小さな会社でも社会に貢献する会社でなければ生き残れないと思っています。

今後ともご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いいたします。

せいたかさん・お不動さん・こんがらさん・役行者さん(父の実家)

東京にも講があったお不動様です。嘘か本当か大祭にはロマンスカーが臨時停車したとか。真言宗阿闍梨の祖父が亡くなって教団は解散し、現在は父の実家の居間にお祀りされています。お顔は御簾で写りませんがかなり怒っています。

お不動様のご加護がありますように。